酒井法子 復帰 映像
★ 覚せい剤で逮捕されたのりピー否定されても復帰
衝撃的だった、覚醒剤女優の酒井法子さんは、いばらの道を歩き出そうとしている。
覚醒剤事件で執行猶予中の酒井法子(41)が12月に芸能界復帰することが20日、に報道されていた。
相当の覚悟の復帰のようだ。 社会に与えた影響の大きさを考えると、今がベストの復帰なのかわからない!
2012年11月下旬の執行猶予明けをめどに復帰を検討していた中、映画などのオファーも有るなかのから舞台を選んだようだ。
★ 失踪が騒動を大きくした
日本中の注目を集めた騒動から、のりピーが女優で再起の一歩を踏み出す。
さて騒動の覚醒剤事件を振り返ってみましょう。
事件は2009年8月3日、夫が覚せい剤取締法違反(所持)容疑で現行犯逮捕された事から始まる。
酒井は逮捕現場となった東京・渋谷の路上に駆けつけたが、自身も警察署への任意同行を求められたが拒否して立ち去る。
その後に、数日間所在がわからなくなり、騒ぎが大きくなった。
当初夫の逮捕にショックを受けて、自殺のするのではないかと予測され、失踪事件として大きく報道された。
親族によって酒井法子と酒井の長男の捜索願が提出された。長男は知人に預けられていた。
夫の逮捕後、警察は酒井の自宅から微量の覚醒剤(8マイクログラム)と酒井の唾液が付着した吸引具を発見、酒井法子への逮捕状をとった。その翌日の2009年8月8日、酒井は警察に出頭、逮捕された。
姿をくらましたのは、体から薬を抜く為だったようだ。出頭の時、頭髪は短くされており警察の薬物検査を意識していたのは確かである。
8月、検察は覚せい剤取締法違反(所持)で酒井を起訴、それを受けてサンミュージックは酒井とのマネジメント契約を解除、所属レコード会社のビクターエンタテインメントも酒井との契約を解除した。
その後、酒井は事件前、滞在先の奄美大島のホテルで覚せい剤を吸引していたことも判明、
覚せい剤取締法違反(使用)で追起訴されている。
奄美大島で行われたイベントの映像は、参加者により多数記録されていて、動画サイトや
ワイドショーなどにより全国に報道されてしまったのだ。
この報道は、酒井法子の薬物の常習性を印象づけ、イメージを更に悪いものにした。
2009年9月17日、保釈保証金 500万円を納付し、それまで勾留されていた東京湾岸警察署から保釈された酒井は、警察の玄関前で謝罪した。
その後に、東京都内のホテルにおいて弁護士に付き添われて、記者会見を行った。
★ 酒井法子さんの現在
復帰作は戦国時代を描く舞台で、主役を演じることになった。
11月下旬に執行猶予期間が明けるため、国内外から映画などの出演依頼が寄せられていた中、酒井が選んだのは「舞台」でした。
劇場での芝居は98年のミュージカルでヒロインを演じて以来14年ぶりになるとゆう。
上演は執行猶予明けの、12月に決定した。稽古は11月からだそうです。
復帰について賛否両論があるのも事実、以前のファンが復帰を受け入れるのか、
復帰の舞台が注目されるのだ!
芸能界復帰は諦めていたが、中学1年の長男(13)を抱えるシングルマザーとして
生きていくために知人から、「子供のこを本当に思うのなら、生活のために自分が一番何ができるのかを考えた方がいい」と諭され、復帰の意思したという。
息子のため、支えてくれた恩人のため、復帰の舞台 に臨む酒井法子さん。
息子さんのためにも、頑張って欲しい!
酒井法子さんの軌跡
★ 酒井 法子(さかい・のりこ)1971年2月14日、福岡市生まれの41歳。
85年に「ミスヘアコロンイメージガール」全国大会で2位になり芸能界入り。
86年、日本テレビのドラマ「春風一番!」でデビュー。
95年に主演した日本テレビのドラマ「星の金貨」と主題歌「碧(あお)いうさぎ」がヒットし、
NHK紅白歌合戦に初出場。
90年代から台湾、香港、中国など中国語圏にも活動を広げ、アジアで人気に。
98年に高相祐一氏と結婚し、99年に長男を出産。
2010年1月に介護を学ぶため創造学園大に入学。
2010年 離婚。
逆風の中での復帰、初仕事を頑張って欲しい!
子ネコ!
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