スポンサーリンク


2012年5月8日火曜日

風船おじさん その後












風船おじさん その後



 風船おじさんこと鈴木嘉和氏は 風船で日本からアメリカを目指した冒険家

 有名になった、風船おじさんのは、今どうしているのだろう。

風船おじさん最後のフライト!

  たびたび、マスコミに向けて、大型の風船をつけたゴンドラで、太平洋を横断しアメリカを目指す
 冒険を語っていた。計画があまりにも、ずさんで実現を疑う声も多かった。

そして、その日が来た! 

1992年11月23日、当時52歳でヘリウム入りの風船を多数つけたゴンドラ「ファンタジー号」の試験飛行を琵琶湖畔で行うことが連絡されてきた。

本人は何か追いつめられていたのかもしれない。!

試験飛行の場には、電話で呼び出された同志社大学教授の三輪茂雄と学生7人、
朝日新聞の近江八幡通信局長、フジテレビのワイドショー『おはよう!ナイスデイ』取材班、そして鈴木の支持者らが集まっていた。

この日はあくまで200メートルあるいは300メートルの上昇実験ということだった。しかし、120メートルまで上昇して一旦は地上に降りたものの、16時20分頃、「行ってきます」と言ってファンタジー号を係留していたロープを外した。「どこへ行くんだ」という三輪教授に「アメリカですよ」との言葉を返し、
重りの焼酎の瓶を地上に落とし周囲の制止を振り切って、アメリカネバダ州サンド・マウンテンをめざして出発したのだった。残された、関係者はあっけにとられてしまった。



翌日は携帯電話で「朝焼けがきれいだよ」と連絡が取れたものの、2日後にSOS信号が発信され海上保安庁の捜索機が宮城県金華山沖の東約800m海上で飛行中のファンタジー号を確認した。しかし捜索機に向かって手を振ったりして、SOS信号を止めている。
安心したのかもしれないが、明確にこの時明確に救助の要請はしていない。
ファンタジー号の高度は2,500メートルで、高いときには4,000メートルに達した。約3時間の監視ののち雲間に消えたため、捜索機は追跡を打ち切られている。捜索には貴重な税金が使われたことになる。


以後は、SOS信号は確認されておらず、家族から捜索願が出されたことを受け、12月2日に海上保安庁はファンタジー号が到着する可能性のあるアメリカ合衆国とカナダとロシアに救難要請を出している。
  鈴木氏の計算では、ファンタジー号は、高度1万メートルに達すれば、ジェット気流に乗って、40時間でアメリカに到着するとみていた。しかしファンタジー号は1万という高度には達していなかったのだ。
専門家は「生存は難しいだろう」と答えている。ファンタジー号のビニール風船の素材が塩化ビニールならば、1日に約10%の割合でガスが抜け、最終的に太平洋上に着水している可能性があるという。海で遭難したかもしれない?

  出発時の防寒具は、スキーウェアと毛布で、無線免許は持っていなかったため、無線機は積まれていなかった。搭載していた高度計についても、使い方を理解していなかったという。食糧については、鈴木は絶食の訓練をしていたと称しており、スナック菓子のみだった。さらにテレビカメラと無線緊急発信装置も搭載されていた。

ファンタジー号のビニール風船については、もともと人を乗せるものではないし、零下何十度にも達する高空に耐える保証もないことを制作したアド・ニッポー社は取材に答えている。上空で気圧が下がると、球形の風船では膨らんで弾ける可能性を指摘されていた。さらに破れてヘリウムガスが抜ける風船があったものの、鈴木は出発の前に粘着テープで

ファンタジー号での冒険にあたっては、借金の返済や自然保護を訴えていたようだが、さらに多額の借金を負う結果になってしまった。       

冒険にいたる経緯

1984年、44歳のときに音楽教材販売会社ミュージック・アンサンブルを起業。1986年には銀座では音楽サロンのあんさんぶるを開店。さらに麻雀荘やコーヒーサロンやパブレストランなどを経営していたが、いずれもうまくいかず倒産。借金苦に陥る。
ビニール風船26個を付けたゴンドラ「ファンタジー号」による太平洋横断で借金を返済すると債権者に語っていたという。

1989年に横浜市で開催された横浜博覧会にテナント出店をしたが、会場内における立地が悪いこと及び、博覧会自体の集客が順調でないことに不満を持った鈴木氏が、抗議して、1989年7月30日に高さ30メートルの塔に博覧会のマスコット「ブルアちゃん」のぬいぐるみを着てよじ登った。7時間立てこもり、ハシゴ車と警察が出動する騒ぎになって警察によって引き降ろされた。

1992年4月17日には、風船で飛び立ち、民家の屋根に不時着する事故を起こした。

府中署防犯課の警察官の制止を聞かずに東京都府中市の多摩川河川敷から千葉県の九十九里浜を目指してヘリウム風船で飛び立った。座った椅子に5メートルと2.5メートルの風船各2個を直接くくりつけて飛行していたが、おもりの15kgの砂袋2個が外れて急上昇して、予定の高度400メートルが5,600メートルの高度に到達したため、ライターの火で5メートルの風船を切り離したところ落下した。
午後1時40分頃に出発地点から24キロメートル離れた東京都大田区大森西七丁目の民家の屋根に不時着している。民家は瓦が壊れ、テレビアンテナが曲がる被害を受けたが、弁償も挨拶もなかったという。奇跡的にケガはかすり傷程度だった。


1992年11月23日に「ファンタジー号」に乗り、琵琶湖湖畔から太平洋横断を目指し出発したが、数日後消息は途絶えている。

家族から捜索願が出されたことを受け、12月2日に海上保安庁はファンタジー号が到着する可能性のあるアメリカ合衆国とカナダとロシアに救難要請を出している。






0 件のコメント:

コメントを投稿