女優 大原麗子さん 孤独死
俳優 立石鉄男さんが 先日急死と報道されていた。
立石鉄男さんと言えば、「パパと呼ばないで」、「雑居時代」など人気ドラマで1時代を
築いた俳優だが、女優の大原麗子さんがよく共演していた。
もう亡くなってしまったが、きれいな女優さんだった。
大原 麗子(おおはら れいこ、1946年11月13日 生まれ
2009年8月3日 死亡)女優。東京都文京区出身であった。
1975年に神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症した。
47歳のときには乳がん手術を受けた。1999年11月から翌年にかけてギラン・バレー症候群が再発したとして芸能活動を休止した。
2009年8月6日、連絡が取れず不審に思って警察に通報していた弟らによって、自宅で孤独死しているのが発見された。
行政解剖の結果、死亡推定日時は同年8月3日。62歳没。かつて映画で共演した夏木陽介は、「話し相手になってあげればよかった…」と追悼のコメントを寄ている。
死因は不整脈による脳内出血であると診断された。
若い頃、田辺靖雄、峰岸徹、中尾彬、小川知子、井上順、ムッシュかまやつ、レーサー兼ファッションモデルの福澤幸雄、作曲家のすぎやまこういちらと、六本木で将来の夢を語り合っていたという。
可憐な風貌とは裏腹に、家に知り合いを呼んで徹夜で麻雀をするなど、かなり豪快な性格の持ち主であった。
1973年(昭和48年)9月、俳優の渡瀬恒彦と結婚したが、5年後の1978年(昭和53年)2月13日に離婚。1980年(昭和55年)6月には、歌手・森進一と再婚したが、1984年(昭和59年)に破局に至った。
死去後のお別れ会には森、渡瀬の元夫2人も出席している。
晩年は母親の介護や自身の病気療養もあって公の場に姿を見せる機会はめっきり減っていたが、俳優仲間にはよく電話をかけていたようだ。
09年8月3日に自宅で孤独死した女優大原麗子さん(享年62)のノンフィクション「大原麗子 炎のように」(青志社)が2011年7月19日に発売されている。
美人女優のイメージと老いのはざまで悩んで整形手術を受けていたことなど、これまで知られなかった事実が明かされている。
2011年8月3日の三回忌を前に、大原さんの本が出版される。実弟の大原政光さんが監修し、芸能リポーター前田忠明氏が執筆した。
美人女優と呼ばれた華やかな外見の裏で、波瀾(はらん)万丈の人生を送り、最後は孤独死したことで、周囲を驚かせた!
美容整形をして、しかも後悔していたことだ。
顔にメスを入れたのは、NHK大河ドラマ「徳川慶喜」に出演した直後で、大原さんが53歳のころだった。
ところが、失敗して顔が腫れて、映画「天城越え」第2弾を降板。その後、再手術で可能な限りに元に戻したが、これを機に仕事が減り、自信を喪失してしまった。 そんなことが、有ったのかと驚かされる。
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