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2012年9月18日火曜日
毛沢東 ミイラ
毛沢東 ミイラ
毛 沢東(もう たくとう) 1893年12月26日生まれている。
中華人民共和国の政治家で、初代中華人民共和国主席である。
中国共産党の創立党員の1人で、長征、日中戦争を経て党内の指導権を獲得し、
1945年より中国共産党中央委員会主席を務めた。
毛沢東が死亡したのは、1976年9月9日であった。
遺体を最初からミイラにする予定は無かったようだ。
とりあえず、2週間、保存するために防腐剤ホルムアルデヒドを2リットルほど注射していた。
その注射を終えようとしたとき、政治局からの決定が伝わる。
なんと、遺体を永久保存せよというのである!
それまで、遺体を保存するtめ(ミイラ)が作られた事はなかった。
大慌てで図書館の資料をあさって、医師団の一人である徐静さんが西側の専門誌にそれらしい論文を発見した。
死体の大きさに応じ、12から16リットルぐらいのホルムアルデヒドを注入すればいいというのである。
徐静さんも有効かどうか、半信半疑であったが、注入は数時間かけておこなわれ、22リットルのホルムアルデヒド注入したのです。
その後、遺体は膨れあがり、体裁を整えるために徐静さんが命がけでミイラ化したのです。
ですから、毛沢東のミイラはあまりできが良くありません。
その毛沢東さんが、中国の反日デモで復活しているとか?
日本政府による沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化に対する中国の反日デモは8月16日日曜も各地で展開された。
ようやく、中国政府は毛沢東の肖像まで登場したデモの規制をはじめたようだ。
しかし、これほど騒ぎが大きくなるまで、規制しなかったのはなぜだろう?
指導部が世代交代する共産党大会を控え、安定を優先する当局がデモを一定の範囲で容認している背景には、指導部内の微妙な力関係で柔軟な対応に踏み切れない事情があるとの見方も出ている。
なぜ尖閣の問題に、毛沢東が登場しているのだろうか?
「毛主席、万歳」。北京の日本大使館前で8月16日に起きた反日デモ では、多くの集団が新中国建国の父、毛沢東の肖像画を掲げ、声をそろえて毛沢東をたたえる集団もあった。
さらに、上海でも8月16日、大小の毛沢東の肖像画が反日デモ 参加者によって掲げられていた。
上海市郊外から参加したという20代の男性は胸に毛沢東の肖像が描かれたシャツを着ていた。「国民の多くが平等だった毛沢東時代の方が良かった。今の政府のやり方はおかしいことばかりだ」と語った。
どうやら、毛沢東の登場には、政府への不満がくすぶっているようである。
毛沢東と尖閣諸島の問題とは直接関係ないのである。
中国では貧富の格差や官僚の腐敗が深刻化するなか、保守派や若者の間に毛沢東を崇拝する動きが広がっているという。
今回の反日デモの広がりには保守派の支持拡大を反映したものとの見方もある。
デモの矛先は反日にかこつけた政府への不満である!
中国政府はこの動きを今の内に、規制しないなら、大きな代償を払う事になろう。
火の粉は近くまで、迫っている!
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